皆様、大変ご無沙汰しております。更新が遅くなりましたことを、心よりお詫び申し上げます。
初めに、前回の記事について重要な訂正がございます。文中で「2024年」と記載していた部分は「2023年」の誤りでした。このブログは父の2023年の闘病記録であり、現在進行形の出来事ではないことを、ここに謹んで訂正させていただきます。
さて、東北地方は本格的な冬の真っただ中にあり、連日雪との戦いが続いています。除雪車が町中を走り回り、私たちの生活を支えてくれていますが、まさに雪国の冬本番といった様相です。
前回は、2023年1月23日に父が再度ガンマナイフ治療を受けることになった経緯までお伝えしました。今回は、その後の経過について、時系列に沿ってご報告させていただきます。
ガンマナイフ治療は当初から2回の実施が予定されていたようで、1月23日の1回目に続いて、2月27日にも2回目の治療が行われました。脳への転移に対する治療は、このように計画的に進められていきました。
しかし、2月1日の血液検査では、私たち家族に衝撃的な数値が突きつけられました。腫瘍マーカーの数値が650にまで上昇していたのです。この数字が意味するものを考えると、胸が締め付けられる思いでした。
そして、さらに厳しい現実が2月15日のCT検査で明らかになりました。肝臓への転移がさらに進行しているという結果でした。医師の表情や話し方からも、状況の深刻さが伝わってきました。この日の診察に私も同席していましたが、医師の言葉の一つ一つが、重い鉛のように心に沈んでいきました。
この頃の父の様子は、明らかに変化していました。いつも前向きに振る舞おうとしていた父の笑顔が、めっきりと少なくなっていたのです。普段から寡黙な性格ではありましたが、さらに言葉数が減り、自身の病状の悪化を誰よりも痛感していたのではないかと思います。
ただ、その中でもわずかな希望の光が差し込みました。肝臓への転移に関して、外科的手術の可能性が示唆されたのです。担当医は他の専門医との相談を約束してくれました。
しかし、この「希望」は、私たち家族の心に複雑な感情をもたらしました。手術ができるのであれば、それは素晴らしい選択肢となるはずです。しかし同時に、既に体力が衰え、痩せていく一方の父の身体に、果たして手術という大きな負担をかけて良いものかという不安も募りました。
この時期、私たち家族の心は常に重く沈んでいました。日常生活を送りながらも、頭の片隅には常に父のことが存在し、何をするにも集中できない日々が続きました。家族それぞれが、自分なりの方法で不安と向き合いながら、必死に前を向こうとしていました。
振り返ってみると、この時期は私たち家族にとって、まさに試練の日々でした。厳しい冬の寒さと同じように、現実は容赦なく私たちに襲いかかってきました。しかし、そんな中でも家族の絆だけは決して揺らぐことはありませんでした。
本日はここまでとさせていただきますが、これからも父の闘病記録を、できる限り正確にお伝えしていければと思います。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございます。皆様の温かいご支援に、心より感謝申し上げます。

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